君と出会ったのはただの偶然じゃない。
 これを運命っていうんだ。
 ――ねえ、こっちむいて。
 大好きだよ、ずっと。



 朝のニュースで彼の名前が流れた。
『第二十三期地球外作業員は、M県の望月 蛍君、K県……』
「もちづき、けい……?」
 今年の地球外作業員に、彼が? 信じられない。嘘だ。というかこれ、嘘でしょ?
 私が、ポロリと落とした箸がそのまま重力にしたがって床に落ちる。私は目を見開いたままテレビを見つめた。ただひたすら、それが嘘であって欲しい、そう思いながら。
 ――地球外作業員とは、今まで人間が放置してきた宇宙に舞うチリやゴミ、機械の破片の掃除をする作業員のことだ。作業員というとまだイメージが良いかもしれない、だから皆少しの皮肉を込めてその仕事と作業員たちのことを『庭掃除』と呼ぶ。
 宇宙開発時代の今、そんなゴミを片付けようというのは、はっきり言って無駄である。何故なら一日に各国が百機を越えるロケットを宇宙にどんどん発射しているからだ。宇宙基地ボーダに住み込みで働く庭掃除たちは、毎日掃除するよりも増える速度のほうが速いチリを掃除し続ける、任期である六十三年間、毎日ずっと! 果てしない基地までの行き帰りを含むと、彼等が地球に帰ってこれるのは八十歳になってからなのだ。この庭掃除がどれだけ無駄なことなのか、上の偉いさんは何も分かっていない。ただひたすら「人間の後始末は人間が」というだけだ。そのゴミを出すロケットを飛ばしているのは、ただならぬお前達なのに。そんなことのために毎年、何人もの人生をそれこそゴミのように消費しているのだ。
 ……その庭掃除に、彼が、望月 蛍が、私の最愛の人が、選ばれてしまった。
『……作業員は明日の七月十一日未明に出発する予定です。続いて、世界の天気です……』
 テレビがいつものように、繰り返されてきた二十三回目の地球外作業員の放送を終え世界の天気予報へと移る。その間、私はずっと「嘘だ」と意識の中で繰り返していた。信じれない、信じたくない。彼が、明日宇宙へ、行ってしまう。今すぐ嘘だと言って欲しい。盛大なドッキリだとして笑って欲しい。
 そのとき、携帯電話のけたたましい音楽が鳴った。そこには「望月 蛍」と表示されていた。私は消沈した動きでその震える携帯電話を手にとった。
「ヒカリ? 俺、望月だけど……」
「おはよう! 蛍、元気? 私さ、今箸床に落としちゃってねー、超困ってるの。どうしたの? 何か用事? てか今日○○のCDの発売日じゃん! 買いに行かなくちゃ、一緒に行く?」
「……ヒカリ?」
「あの新曲どうなのかな? 最近あんまり良い曲ないじゃん? 迷ってるけど、やっぱり好きだし買いに行こうかなー。」
「ヒカリ?」
「まぁ、今日暇だし、っていうか宿題してない! やっばい、ちょ、宿題だけしてから買いに行こうかな。今日の宿題ってなんだったっけ。確か、結構多かったはず……、嫌だなぁ」
「ヒカリ……」
「嫌だなぁ、ホントに。嘘だって言ってよ……、お願いだから。本当にもう嘘だって……!」
「……ごめんな、ヒカリ」
 電話から蛍の謝る声が聞こえてきた。私は頬を伝う涙に今やっと気づく。
「蛍、嘘でいいから嘘って言って……」
「それは……、言えない。嘘をつかないでって初めて会ったときに言ったじゃんか」
「蛍……!」
 私は懇願するように彼の名前を呼んだ。それでも彼は嘘を言おうとはしなかった。だから私は半ばヤケに蛍に質問した。
「蛍、私のこと好き?」
 一瞬、蛍は驚いたのか言葉に詰まるような空白があった。
「……うん、大好きだよ」
 少しの空白のあとの言葉に私は感情が溢れ出てきて、言葉を制御出来ない。泣き声で叫ぶように言った。
「本当に?! 心から?!」
「本当に! 心の奥底から、ヒカリのことが好きだ」
「だったら、宇宙になんて行かないでよ……!」
「ごめん……、絶対に帰ってくるから。ずっとずっと先になっても」
「蛍が帰ってくるとき、私達八十歳だよ?! そんなのって無いよ……!」
 蛍は長い間、黙って私の泣き声を聞いていた。何か考えているかのように。
 蛍が口を開いたのは私が泣き止み始めた頃だった。
「……ヒカリ、俺明日の朝早くに出発するんだ。だから、今から中央公園に来て」
「……」
 蛍は真剣な声で私に話し掛ける、ずっと大好きだった透き通る声で。
「ヒカリ、来てよ」
「……ウン」
 私は小さく頷きながら、一言返事をした。蛍はその声で少し安心したのか、多少明るい声になって言う。
「じゃあ、準備があるから、切るよ。いい?」
「……ウン」
「また明日、ヒカリ」
「うん……、バイバイ、蛍」
 そしてプツッという音と共に通話が切れた、本当にあっけなく。
 最後に私が言った「バイバイ」という言葉が、酷く冷たく私の脳内に響いていた。

 彼――望月 蛍――は、ずっと「空」を見てきた。幼い頃から倍率が百万を超えるアメリカの地球外惑星探索隊に参加したいといつも漏らしていた。日本でロケットを飛ばすときには必ず見に行っていた。夏の真っ青な空に伸びる真っ白なロケットの痕跡を彼はいつも羨ましげに見ていた。私はそんな様子の彼を、地面に座って呆れるように眺めるのだ。座って発射の様子を見ればいいものを、「少しでも宇宙に近づきたい」と必ず立って見ていた彼を。彼は勢いそのまま宇宙へ飛びだってしまいそうだった。
 だから彼がアメリカの地球外惑星探索隊の試験に落ちたとき、内心ほっとした。――彼の夢を貶めるわけではない。ただ、彼がいなくなるのが嫌だったからだ。これだけ科学の進んだ世界でも地球に帰ってこれる確率はフィフティーフィフティーだ。毎年だいたい二百人が宇宙に行ってほぼ百人が帰ってくる。彼が帰ってこない百人に入るとは思いたくない。でも、そう思いたいとしても、――不安なのだ。彼が冷たい宇宙空間で永遠に(そう、本当に永遠に!)、一人になってしまうのが怖い。
 試験に落ちたとき、彼はこうこぼしていた。
 「僕は、宇宙に行きたい。行って、見たことも無い宇宙を見てきたい。簡単に叶う夢じゃないと思ってはいたけど、僕は諦めたくない、絶対に。……一度でいい、とか弱音は吐かないよ。僕は宇宙飛行士になって宇宙を何度も泳ぐ。何度もこの青空に白い雲を咲かせてみせる、必ず」
 私はただ、行かないで、と思った。諦めて欲しかった。あの青空に咲く白い痕跡が彼の墓標になってしまう、と私は言い知れようの無い恐怖にかられた。――それでも、彼の乗ったロケットが白い痕跡を残す清々しい青空が私の脳裏に浮かんでしまっているのだった。
 だから私は、指定された中央公園に行かなかった。きっと今会ってしまったら私は彼を『諦めきれない』。時計の時針が目に見える速さで動いているようだった。気が付くと、私は携帯電話を片手に持ち朝食を目の前にして真っ暗な部屋でぼんやりと座り続けていた。床には箸が二本バラバラに落ちている。涙が込み上げてくる。心が絶望に苛まれ、ただ単に泣きたくなった。私は真っ暗な部屋で机に突っ伏して、また大声で泣いた。何度も「ごめん」と繰り返しながら。


     ===


 泣きつかれて、どうしたのだろう。気が付くと朝日が部屋を差していた。部屋は昨日のままから何も変わっていない。床に落ちたままの箸も、握ったままの携帯も。
 ふと気が付くと携帯にメールが着ていた。私は無感覚にそれを開けた。

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差出人:望月 蛍
件名:(no title)
送信時間:07/11 04:22
内容:七時にM県宇宙管理センターから
   出発です。今までありがとう。ヒ
   カリのことは絶対に忘れない。で
   も、ヒカリは僕のことを忘れて幸
   せに過ごして欲しいと思う。最後
   までわがままで本当にごめんね。
   もう僕のことで泣かないで。
   大好きだったよ。
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 私は携帯の時間を見る。そこには能天気に「06:46」と表示されていた。
 私は椅子を蹴飛ばし、散らかった部屋の中を走った。ガタンという椅子が倒れる激しい音が背後から響いていたがそんなもの気にしない。早く、早く、行かないと。私、蛍に会いに行かないといけない!
 ――ごめん、蛍。最後までわがままだったのは、私だ。蛍は、私のことずっと気遣ってくれてたのに、ずっと蛍の夢を否定しててごめん。宇宙に行かないでって言ってごめん。最後、会いに行かなくてごめん。好きって思ってるのに、言わなくてごめん。私だって、蛍のことを忘れないよ、ずっと、絶対に! こんなに思ってるのに、伝えられないで別れるのは嫌!
 私の家からM県宇宙管理センターまで自転車で飛ばして約二十分。確実に間に合わない。どうにかしないと、間に合わないよ。私は急激に心拍数が上がるのを感じた。でもそれ以上に、後悔という名の罪悪感が渦巻いていた。本当に彼と会えなくなってしまう、二度と永遠に別れてしまうという事実に気が付いたのだ。
 私は父の低空バイクのキーを手に取る。免許がないと乗っちゃダメなんだけど……、そんなのどうでもいい。私は家を飛び出て、低空バイクに飛び乗った。キーを差込み捻ると、フィーという空気の抜けるような音がしてバイクが浮き上がった。私は父の見様見真似でグリップを握り、音声認証に向かって叫んだ。
「M県宇宙管理センターまでッ、最高速!」
 ――今から会いに行くから、今から伝えるから、今から蛍に大好きって言うから!
 ……低速バイクは鋭い音を立て、命令通り最高速を出しM県宇宙管理センターへと走り出した。出発まであと十一分……。


     ===


『出発まであと三分、カウントダウン始めます。』
「了解、どうぞ」
 ――白い清潔感のあるコックピット。数十年前とは比べ物にならないほど性能の上がった宇宙服に身を包み、少しずつ近づく地球との別れの時間に僕はフー、と一つ深呼吸をした。
『蛍、どうした? 緊張しているのか?』
 目の前のパネルから聞こえるのは、管制塔からの声だ。僕の小さい呼吸を聞き取って何事か、と思ったらしい。僕はハハ、と小さく笑って、不調ではないことを伝える。
「いえ、大丈夫ですよ。ただ……」
『ただ……? どうしたんだ、今更庭掃除が嫌になったか?』
「いえ、僕はずっと宇宙で働きたいと思っていたので、そんなことは……」
『ならば、どうしたというのだ? 精神的に不安定な状態だとロケットの操縦に関わってくる』
「操縦なんてほとんど機械じゃないですか……」
『屁理屈はいい、理由を言いたまえ』
「……僕、大好きな彼女がいたんです」
 僕は少し俯きながら、そうつぶやいた。高圧的だった管制塔からの声も僕の次の言葉を促すように、静かになる。
「僕はその子が大好きで……、宇宙に行く夢とその子を比べると夢を諦めてしまいそうになるぐらい大好きで……、でも僕は宇宙に行く夢を諦めませんでした。でも今彼女のことを考えると、なんでここにいるんだろう、って思います。いつもみたいに、ずっと二人で発射するロケットの白い雲を眺めていれたら……。
 ……もちろん庭掃除を後悔はしていませんよ。僕は夢を取ったんです。だからその子はもっと早く、僕と別れていれば良かったんだ、と悔やんでるんです。長くいる分だけ、別れが辛くなる……。昨日だって、僕は会おうって自分で言ったのに、会いに行かなかった。やっぱり電話もするべきじゃなかったのかな……。彼女の声を聞くだけで本当に悲しくなった、別れたくないって。
 だから、朝、メールをしたんです。僕を忘れて、幸せになってねって。彼女が僕以外の男と笑っていたら辛いけど……、しょうがない。だって僕は彼女を裏切ったんですから」
 僕がそこまで言い切ると胸の中にジワッと息苦しさが広がった。悲しみで呼吸が苦しい。僕は溢れそうになる涙を堪え、もう一度フー、と深呼吸をした。管制塔からの通信が来るまでの少しの間、一分を切ったカウントダウンだけが僕の耳に響いていた。
『……蛍が今から行く宇宙基地ボーダから地球はもちろん現在の技術では電波など届かない。届いたとしても電波バラバラになりすぎて解読は不能だ。だから年に一度の作業員の行き来でメールを届けるしかない。それだったら……』
「そんなの、片道十年ぐらいかかります。その頃には彼女も僕のこと忘れて……」

 ますよ、と続けようとしたそのときだった。
 急に管制塔からの通信が乱れた。
『……! ガ、ガガ……!』
「え……?」
『き、キみ……ッ! おい、こらッ……!』
「管制塔? どうしましたか?! 管制塔……!」
 僕は何が起きたんだ、とパネルに声をかける。しかし応答は無く、しばらくザザ……という雑音が流れていた。
 そして、雑音が消え、シーンとなったパネルから一つの声が聞こえてきた。
『蛍? 聞こえてる? 蛍?!』
 それは今自分の胸の全てを占めている『彼女』の声だった。
「ヒ、カリ? ヒカリッ?! ヒカリなのか?!」
 パネルが、僕とヒカリを繋ぐものがこのパネルだけだということが、ひたすらもどかしい。僕は身を乗り出して、パネルに顔を近づけた。大好きなヒカリの声がパネルから聞こえてくる。
『蛍ーッ! ごめん、蛍の夢を理解してあげられなくて、ごめん! 昨日、会いに行かなくてごめん、でも私、蛍のこと忘れたりしない! 蛍より幸せになってやるけど、蛍のことを忘れて幸せになんてならない! 蛍が帰ってくるまでずっと待ってる! 蛍、大好き、大好きだよぉ……!』
 なんと、ヒカリも公園に行かなかったのか。僕等は二人とも同じ行動を取っていたんだ。でもそんなこと今はどうでもいい。早く僕は僕の気持ちを伝えなくては、早く、最後に伝えなくては。
「ヒカリ、僕も昨日会いに行かなかったんだ、ごめん……! 君をほって宇宙に行って、ごめん。君とずっと一緒にいられなくてごめん! でも……、でも、ヒカリのことが僕はずっと大好きだ! 僕も君のことを絶対に忘れない!」
 そのときカウントダウンが、ゼロ秒を示した。僕は、体勢を戻し発射の準備に入りながらも叫んだ。
「ヒカリ、ヒカリ! 大好きだ、ずっと! 僕のことを忘れないで……!」
『私も大好きだよ! 私のことも忘れないで! 蛍ィッ!』
 ゴゴゴゴゴ……、とコックピットが揺れ始め、パネルの通信が途絶えた。ヒカリの声が聞こえなくなり、僕は胸に占める思いを全部吐き出したかのように目を閉じた。
 ――僕は、宇宙へと飛び出した。空に一本の白い痕跡を咲かせて。


     ===


 私は管制塔の窓に張り付いて、ロケットを見上げていた。
 スーっとまっすぐまっすぐ、空へと伸びていく白い痕跡が、真っ青に映えて綺麗だった。
 私は管制塔の厚い窓ガラスをガツンと叩いて、涙をこぼした。
「蛍ィ……! ごめんね、ありがとう……!」
 もうその言葉は彼に届かない。私は唇を噛み締めて、涙を拭いた。
 そして宇宙に旅立った手の届かない彼に、私は大きく手を振った。何度も、何度も。
















 あの夏から何回目の夏だろうか。私はとっくに社会人となり、M県宇宙管理センターで働き始めた。私はあの夏、管制塔で司令官を何人も殴り倒すという騒動を起こしたため、絶対無理!と思っていたが、どういうことかうっかり内定を貰ってしまう。数年後、当時の人事担当のだった人にそのことについて聞いてみると、「そんなことどうでもいいから、今日一緒に飲みに行かない?」と言われてしまった(もちろん丁重にお断りした)。だが、そんなこんなで私はこのセンターで働くことが出来たのだ。彼には感謝しよう。
 ――今年も庭掃除として何人もの人生が消費されていた。あの頃と変わったことといえば、庭掃除の制度を廃止しようという声がかなり高まっているということだ。各国の宇宙開発はあの頃と変わらず大した発展を遂げておらず、むしろ何の発見も無く各国の実験は面白いほど失敗に終わったのだ。そんなことに税金を使うなという意識はいつの時代にもあるものだが、現在それは大きな変化を起こせるほど大きくなってきたのだ。
 ロケットの発射が無くなれば、もちろんそのゴミを掃除する庭掃除の制度も無くなり、蛍は帰ってくる。でも私はロケットの発射を、庭掃除を無くさないで欲しいと思う。何故なら宇宙に出ることが蛍の夢だからだ。蛍の夢を途中で止めさせたりしない。
 先日、初めて蛍からのメールが届いた。計算してみると400字詰め原稿用紙十枚分の長文メールだった。内容は初めてした仕事、宇宙、仲間のこと、そして私への謝罪だった。私をほって宇宙に出てすまない、とメールに長々と書いてあった。でもそれ以上に私を愛しているということが書いてあった。私はそれが嬉しくて、返信のメールを急いで書く。蛍に負けないくらい長く、十三枚分書いた。でも私は謝罪なんて書かなかった。蛍のことを愛していると、丸々十三枚書いたのだ。……これぐらい書いても足りないぐらい!
 そのメールは今年の作業員の派遣の際、ロケットに積んでもらった。このメールが届くのは何年後か……。それでもいい、私と蛍はどれだけ離れていても繋がっている。

 私は毎年、庭掃除のロケットの発射を見に行く。今年は私のメールも積んであるのだ、なおさらちゃんと届けてもらわなければ、困る。
 蛍と一緒に並んでみた草原で、私は一人寝っ転がってロケットの白い痕跡を見ていた。十七歳の庭掃除たち、蛍に会ったらよろしく頼むよ、と私はそのロケットに声をかける。

 宇宙まで続くその白い痕跡は、蛍まで続いてる。だから私は、その雲の行く先を見つめ続けるのだ。いつか、蛍が帰ってくるまで、ずっと。