「好きだ。俺と、付き合って」
 シン、と二人の間の空気が固まった。
 私は「え……?」と声を溢すだけで、その言葉を言った祐二は祐二で顔を真っ赤にして突っ立っていた。
「ゆ、祐二……? あの……」
「……ユリ、俺はユリのことが好きなんだ。ユリのことをいつも一番に思ってる。……明日の朝までに答えを考えておいて。……あー、えっと……、じゃあまた明日!」
 祐二は靴を急いで履こうとするあまり、かかとを踏み潰したまま玄関を飛び出していった。バタン、とドアが閉まったとき、私は何が起きて祐二が何を言っていったのかを理解しズルズルとフローリングの床に座り込んだのだった。



 私と祐二は小学校からの友人だった。幼馴染というほど親しかったわけでは無かったのだが、一応相手を認識していて挨拶などを交わす程度の仲ではあった。高校に入ってからはどうしたことかクラスも同じで席も隣で、急に仲良くなった。祐二と私には偶然にも同じ趣味がありそのことからよく二人だけで遊ぶことが増えた。高校生で恋人ではない男女が二人っきりで遊ぶことはあまり(というかほとんど)無いと思う。でも私は祐二に特別な感情を抱くことなく二人で毎日遊んでいた。本屋に行ったり、二人で登校したり、各々の家に遊びに行ったり……。一度「付き合ってるの?」と女の子の友達に聞かれたときも、「ううん、違うよ」と普通に言えた。祐二も男子のクラスメイトに同様の質問をされていたときも、そう普通に答えていた。

 そんな祐二との仲が少し違ったものになったのは、つい先日のことである。
 久々に一人で本屋に行こうとしたときのことである。その本屋は街中にあるのだが交通の便が悪く、普通の行き方で行くととても時間がかかるし何より疲れる。なので一部の者に有名な抜け道を使って、私は本屋に向かっていた。
 薄暗い路地裏。少し曲がりくねった道にはもちろん自分以外の人の姿は無い。いつもは祐二と二人で通る道だが、今日は一人だ。何故か、いつもよりその道を怖く感じた。私は急いで通り抜けよう、と少し駆け足でその道を通っていた。
 そのとき、突然左腕を誰かに掴まれたのだ。私はギョッと驚いて咄嗟にその手を振り払おうとしたが力強く掴まれており、逆に押さえつけようと力が増すだけだった。
『ね、ねえ、君、モデルとか、きょ興味ない?』
 そこで私の腕を掴んでいたのは大きなカメラを構えた太った大柄の男だった。上はポロシャツ、下はダボダボのジーパン、そして大きなフレームの眼鏡をかけており、五十年前に流行った「オタクファッション」とかいう感じの服を着ていた。歴史の教科書の隅っこに載っていたあの服装を、現代でしている人がいるなんて! 私は一瞬驚いてしまったが、今はそれよりも気にすべきことがある。
『そ、そんなの興味ありません、放して下さい!』
『ええ〜、君、絶対似合うと思うんだな、だな。おお願いだよ〜』
『やめて、下さいッ!』
 私はギリギリと男の隠れていた横道へ引っ張られていく身体を、必死で押さえつけながら声を上げた。助けを呼んでもこんな道で人が通るわけがない。男の力には敵わず、私はそのまま横道に身体を連れ込まれそうになる。もうダメだ――私はそう思った。
 しかし、突如激しく私は元の路地裏に押し戻され、私の左腕を掴んでいた巨体の男は横道に倒れ込んだ。
『テメェ、ユリに何してんだ! 警察呼ぶ前にボコボコにしてやる!』
 そう怒鳴って私の目の前に立つ影。薄暗い路地のはずなのに、その堂々とした姿は光を放っているようだった。
 ――その声でめっきり恐ろしさを無くした巨体の男は「ヒ、ヒィ!」と声を上げるとバタバタと横道の奥へと走って逃げていった。私はその光景を、……いやその影をボンヤリと眺めていた。
『……ユリ、大丈夫か?』
 巨体の男が去ったのを確認してから、私の前に立っていた人が私に手を伸ばした。そのとき、やっと私はそれが誰なのかが分かった。
『祐二? 祐二なの……?』
『ああ、そうだよ。ほら、もう大丈夫だから……。立てる?』
 座り込んでいた私は、やっと優しく笑う祐二の顔が見えた。そっと伸ばされた祐二の手を掴んで私は立ち上がる。すると急に襲ってきた恐怖で視界がじわっと滲んだ。祐二は泣き出した私を見ても驚くことなく、溢れ出した私の涙を手ですくった。
『ユリ、本当に無事で良かった……』
『祐二ぃ〜……! ごめん、本当にありがとう……!』
 祐二は柔らかな声でそう言うと本格的に泣き出した私をそっと抱きしめたのである。私は大声で泣きながら祐二の背中に腕を回し、力いっぱい抱きしめ返したのだった。

 あのときから私と祐二の仲は変わった。二日三日の間だったけど、私はまともに祐二の顔が見れなかった。それは私が大泣きしたのを見られて恥ずかしかったのではなく、ひたすらに祐二に会うとドキドキしてしまったからである。しかし祐二は以前とほとんど変わらない態度だった。でも私に対して以前より色々と気を使ってくれることが増えた気がした。学校の帰りも以前はたまに一緒に帰る程度だったのに、あのときからは毎回一緒に帰ることになった。祐二はその度、私にあのときのような笑顔を見せる。私はその笑顔がどうしても直視できなかった。隣に並ぶだけでもドキドキして、たまに視線が会うと心臓が破裂しそうなほど鼓動が激しくなった。
 祐二と私の仲が変わったというより私が祐二に対して何か変わってしまったみたいだ……。

 そして今日の学校の帰り、一緒に並んで歩いていたとき、祐二はこう言った。
「今から、ユリの家に遊びに行っても良い?」
 私は祐二と出来る限り視線を合わせないようにしながら、いつものように「いいよ」と頷こうとした。しかし、私はあまりに心臓がうるさくて返事が出来なかった。祐二はそんな私の様子をみて、言葉を続けた。
「今日、ユリに話したいことがあるんだ」
「それって……、どんなこと?」
「すごい大事なことだよ。――行って良い?」
 ――私は「いいよ」となんとか小さく頷いたのだった。祐二はその本当に小さな返事を聞くと、また静かに歩を進めるのだった。私は俯きながらその大事な話が何なのであろうか必死で頭を巡らせていた、――もちろん答えは出なかったけど。

 私の家につくと祐二は私の部屋でいつものように趣味の話を楽しそうにし、二人で宿題をして、いつものようにふざけて遊んだ。大事な話? ――そんな雰囲気は微塵も感じさせぬ様子だった。
 そして時間は過ぎ、「ポーン」と六時を知らせる時計の音がすると祐二は数式をといていたシャーペンを止め、私の顔を見て閉じていた口を開いた。
「ユリ、俺そろそろ帰るわ。ありがとう」
「あ、そう。じゃあ玄関まで送るね」
 祐二は手早く宿題を鞄に片付けると、それを見て待っていた私の前を歩いて部屋を出た。トントン、と階段を下り、手前にある玄関につくと祐二は重そうな教科書の入った鞄を置いて靴を履き始めた。
「(大事な話って、もう忘れてるのかな。もう緊張するからそれでも良いんだけど)」
 私が少し安心して少し離れた場所から靴を履く祐二の様子を眺めていると、静かな玄関にフーと深く息を吐く音が響いた。私が、え、と思っている内に、靴も履けていない状態の祐二がその場に立ち上がった。そしてグルッと私に正面を向いて立つものだから、私はどうしようもなく祐二の顔を見つめながら立ち尽くしていた。
 そしていつもからは想像できないほどに顔を真っ赤にした祐二が、口を開きこう言ったのだ――。
「好きだ。俺と、付き合って」

 祐二はその言葉を言ったあと、逃げるように私の家を飛び出していった。私も私で驚きから座り込んだ状態から身体を起こして自分の部屋に逃げ込んだ。そして、呼吸を整える暇も無いようにして私は呟いた。
「私だって……、好きだよ、祐二……!」

 ――私は今まで恋愛というものをしたことが無かった。といっても、恋愛が嫌いってわけじゃない。ただ単に「あの人カッコイイな、結構好きかも」で、全て終わってしまうのだ。告白するまでの恋愛感情を抱けない私は幼いのだ、そうずっと思っていた。
 ――だから、祐二へのわけの分からない感情について私は何も対処できなかった。友情は恋愛感情へ昇華する。それがこんなに唐突に行われるとは思ってもいなかったから……。私、竹井ユリは祐二のことが好きだ。とってもとっても好き。自分の心の中が掻き乱して、キュウッと心臓が締め付けられるようなこの気持ちも、それをどうしたら良いか分からなくて困っている気持ちも、初めて体験した。
「私、言わなきゃ……、祐二に、私の気持ちを……!」
 私祐二のことが、好きなんだ。

 翌日。私は制服を着ると、落ち着いて鏡の前で二・三度深呼吸をした。
 昨日よりも心臓はドキドキしているけど……、心は昨日より落ち着いていた。
 ちゃんと、私の言葉で、祐二に好きって伝える。
 祐二は勇気を出して、私に気持ちを伝えてくれたのだから。私も勇気を出して伝えるのだ。



「私も祐二のことが、好き……です」



小さく呟いた私の言葉に、祐二は微かに笑みを浮かべる。そして恥ずかしくて俯いている私の耳元でこう優しく囁くのだ、「こっち向いて、抱きしめたい」、と。