「癒月センパイ、起きてますか?」
「起きてますよ、酔っ払ってますけどね」
私は手にもったビールの缶を上空で小さく振る。
「もう、寝るのならそこの布団にして下さいよ。あー、お酒臭い」
「うー、センパイに向かってお酒臭いとか、どうなの?」
「事実そうですもん」
「このセンパイ不孝モノ」
「ハイハイ」
橘は少し笑いながら、カタカタとキーボードを叩く。
私はビール片手に橘の足元で寝転がっている。

橘は大学一年生で、私は大学三年生。
大学でのサークルで出会った私たちは、男女という壁を越えて仲が良かった。
偶然に趣味が合っていたのも、理由としてある。
夜は連日泊り込んで、好きな作家の本について語ったり、ゲームをしたり。
恋人以上の関係だった、それでも二人は付き合っていない。
なぜなら、理由は簡単、二人とも恋人がいるからだ。
私には及川と言う社会人の恋人がいるし、橘にも姫野の言う同級生の恋人がいる。
二人は別々に恋人とデートだってするし、及川と姫野も相互で会ったことがある。
始めは及川は色々と思っていたらしいけど、もう何も無い。
及川といるのも楽しいし、橘といるのも楽しい。
ただ、私が及川と付き合っているだけで。
橘の恋人、姫野ちゃんは本当に可愛かった。
姫野ちゃんは私みたいなガリガリで身長が高い女ではなく、小さくて甘ったるい声をした子だった。
私は少し姫野ちゃんが嫌いだ。
姫野ちゃんも橘の家に夜な夜な泊り込んでいるのを良く思っていないらしい。
いや、よく思えるはずが無いだろう。
及川もよくそう怒っていた。

「橘ぁ、お酒、追加!」
「はいはい、ちょっと待ってて下さいね」
橘は呆れるように笑みを浮かべると、冷蔵庫に向かって歩いていった。
私は頭上にあった橘の気配が消えて、少し寂しい。
(これで恋愛感情が無いのだから驚きだ)
「はい、どうぞ」
「え、なにこれ…」
「お水です、もうそれ飲んで寝て下さい」
「えー」
戻ってきた橘が寝ている私に差し出したのはグラスに入った透明な水だった。
橘はそれを私に渡すとまたディスプレイに顔を付き合わせた。
なんでお酒じゃないのー、とか思いながら私は水を飲む。
でも、やっぱり橘はこういうところが凄いんだと思う。
こういう奴がモテるんだろうなぁ、とかも思っちゃったよ。

「癒月センパイ、今度の僕の作品読みました?」
「あー、うんうん、読んだよ。」
「そうそう、アレなんですけど、アレの主人公、癒月センパイがモデルなんですよ」
「えー、うっそぉ」
「嘘じゃないですよ。驚きました?」
「ん、なんか自分と似てるな、とは思ってたけど…」
「ハハハ」
橘は軽い声で笑った。
作品、とは私たちの所属する文芸サークルでの小説のことだ。
私は水を少し口に含みながら橘の作品を思い出していた。
私がモデルになっているらしい主人公の、――何だか既視感のある恋愛小説だった。
二股、告白、そして恋人未満友達以上の二人――。

それはきっと、いまのわたしたちなのだ、そしてたちばなも、

――橘も分かっているのだ、きっと。

橘は困惑しているような表情で、私を見下ろしていた。
私はふわふわと空ろな瞳で、橘を見つめる。

「橘、」
「はい、」
「キスして」
「はい、」

橘は躊躇することも無く、私に口付けた。
それはただの苦いキスだった。
橘は少し顔を離しキスをしたばかりの唇で、確かめるように言う。

「これで――、いいですか」
「うん、ごめんね」

私は苦笑いを浮かべた。
橘も苦笑いをしていた。

「きっと、センパイのことですから」
「……、」

「本当の気持ちなんて気づけないでしょうから」

分かってるよ、橘。

「そうだね、ごめんね、」
「良いんですよ、僕、いっつもこんな立ち回りですから」








きっと私は何も気づけない、謝ることしか出来ない





Title by 星が水没